2012年3月11日日曜日

あれから1年

あれから1年。まだ1年。もう1年。

「2011/3/11」という日付とその後しばらくのことは、たぶん一生忘れないと思う。私は個人は、オフィスが揺れてちょっと怖かった、PCのモニターがぶっ倒れてきた、当日は帰れなかった、休む予定だった週明けに休めなかった、そんな程度の被害で済んだ。

限月交代直後のJGB先物は、後に東日本大震災と呼ばれる地震の発生とともに瞬間的に1円以上カチ上げられた。インターバンクの売買はその後止められたが東証の先物はずっと動いていた。この対応は賛否両論であったが今に至るまでその答えは出しにくいものがある。先物は上場しているので、いわばシステムダウンさえさせなければ売買は継続可能。一方で、債券のインターバンクブローカーは商いのかなりの部分を人力でカバーしている。また、JGB先物については、他のアセットともミックスしたトレードもあるだろうし、単独で止めるべきかどうかという議論もあったわけだ。

閑話休題

円債市場の参加者には銀行や信金といった金融機関が多い。こういった緊急事態の場合、通常考えるのはキャッシュの確保だ。日銀が週明けに大量の資金供給オペを打ったのはその為。私自身、震災直後にはATMで手元にキャッシュを確保した。経済活動とは細かな活動の積み重ねである。

普通に生活していると実感しにくいことではあるけど、カネというのは常に巡っている。目詰まりを起こすと普段考えもしなかったような部位が壊死してしまう。「カネは天下の回りもの」とはよく言ったものだ。

余震が続く週末が明けて、Twitter金融クラスタ界隈の人々の決意表明が相次いだ。私はこのとき確か「市場の流動性を落としてはいけない。プライスを出し続けよう」という旨の発言をし、会社のデスクに就いた。私一人がいなくても市場全体の流動性なんかほとんど変わらんだろう。でも、そういう意気込みでいた。

売りにくる銘柄なんてだいたいわかっている。ある程度の流動性があって全国津々浦々の投資家がもっているもの。相場に何年かいれば把握してるもんだ。

色んなオーダーを受けた。先物が使い物にならなくても、JGBはそれなりに売買できた。これぞ流動性、というもんである。一般債に関しては地方債すらも一時的にドカンとワイドニングした。スプレッドの居所がわからなくなり、正直ここが一番キツかった。


ここでひとつ記事を紹介する。

俺達緩和 - 投資の消費性について

当時の記憶をありありと甦らせるエントリだ。当時感じた違和感もありありと甦る。

例えば日経平均のチャートなんかを見ると、あのときの値動きがしっかりと刻まれてる。落ちてきたナイフを果敢に掴みにいったら、結構なリターンを得られたこともまた事実としてわかる。ナイフに手を切り裂かれた人もいたかもしれないけど。個人的には、買い出動したかった一方で、JGBマーライオンの経験を重ね合わせ、二の足を踏んだ。

振り返れば絶好の買い場だった。私自身、ありとあらゆる材料を市場で消化しにいくことに何のためらいもない。地震が起きたのは事実なのだから、如何に儲けるかを考える。当たり前のことだ。

でも、あの時の盛り上がり方は妙だった。皆が「義勇軍」だった。頑張ろう日本ではないけれど、そういう感情で動いてるように見えた。強い違和感があった。とはいえ、あのとき買いに回ったひとは結果的には大勝利。それ以上のことは言わないし言えない。儲かったか儲からなかったかヤラレたか。それだけが残るのがマーケットだ。equilibristaさんのエントリを読んで、当時の感情の動きをはっきりと思い出した。


「材料」としての東日本大震災はものの数ヶ月で消化された。でも、震災の爪痕はおそらく私なんぞが思っているより遥かに大きく深いものだろう。僅かだが義援金を送った。何かの役に立てば嬉しい。あとはそうだな、14:46には黙祷をしよう。そして、それぞれがそれぞれに闘えばいいと思う。

あれから1年。まだ1年。もう1年。

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